報われない想いに光を

わたしの生きた証

本当のこと隠して生きている

人は誰しも迷いや悩み、苦しみを抱えて生きている。わたしもそうだ。色んな苦しみを抱えている。でも、それを曝け出すのは勇気がいることだし、それなりに「言おう」と思わないと言えないことだってある。

わたしは少なくとも、わたしは言語化が苦手というか、非常に難しくて、文章にしても全くまとまっていないし、まとまりのある文章を書くのは難しい。調子が悪いと特に難しい。

最近はずっと、ODしたいな、とか、切りたいな、とか、首絞めたいな、とか、色んなことを思ってしまうわけ。本当に色んなことを思ってしまう。

行動化してしまったらば、きっとわたしは、そのまま開放病棟から閉鎖病棟に飛ばされてしまう。それだけは勘弁してくれ。本当に嫌だ。閉鎖病棟行きたくない。でも、SOSが出せない。どうしよう。どうしよう、ってなる。

叫んで暴れることは簡単だし、それを必死に抑えているわたしだっている。だから自分で「頑張っている」って認めてあげなきゃいけないし、褒めてあげないといけない。しかし、それが出来ないのだ。

癇癪起こすことは本当に抑えなきゃ出来る。子供みたいと、昔の主治医に言われたことがあった。だから、堪えて当たり前、なのだろう。

難しいな、でも、頑張らなきゃだな。

しんどい。しんどいな。でも、でも。

頑張りすぎた先には解離して倒れるか、過呼吸か、しかない。迷惑をかけたくない。それもわかってる。

いろいろしんどい。時々思い出すんだ「お姉ちゃんだから」って言葉。

ああ、そっか。わたし、お姉ちゃんだから、我慢しなきゃいけないな、って。「お姉ちゃんだから」って言葉がどれほど狡いか、いつも苦しめられている。お姉ちゃんでも、我慢できないことだってある。いつまでこの呪縛に囚われないとなのだろうか。考えると、苦しくなる。しんどくなる。

ああ、わたしはいつまで「良い人」を演じなきゃなのだろう。いつまでヘラヘラしなきゃなのだろう。どうしたらいいのだろう。

仮面を外すのには勇気がいる。ならもう、このままヘラヘラのわたしを演じ続けるしかないのかもしれない。

その方が、誰も犠牲にならない。犠牲になるのは、わたしだけだから。