報われない想いに光を

わたしの生きた証

逢いに来てくれてありがとう

昨年12月の中旬が終わる頃の出来事。

地元に居た祖父が亡くなったと知らせを受けた。結婚を機に九州から東海のほうへ引っ越したから、義母にも連絡をし、帰ろうかと思っていた。

しかし、帰省するのを邪魔したのが、コロナウイルスだった。コロナのせいで、大事で大好きなじいちゃんの最期を見送れなかった。

後悔しかなかった。大好きなじいちゃんと3年近く逢えていなかったのだ。ここ数年で認知症が激しく進み、歩けなくなり、車いす生活を送っていた。車いすなのに、自分は立てると思い込んでか、立って歩いて転んで、人工股関節が外れてしまって入退院を繰り返してもいた。

結局、介護をするのにも限度があって、本土の介護施設に入所させることになった。1年ほど前に、地元の施設に入所させると言うことで、地元に帰ってきたのだが、コロナウイルスのせいで面会不可。荷物だけ預けて帰るという生活を送っていたらしい。

母からは度々「じいちゃんが入院した」という話は聞いていた。そしてそれと同時に、「老衰が入っている」とも聞いた。

覚悟はしているつもりだった。身内の不幸だから、帰省しても良いだろうと思っていた。けど、わたしは帰省することすら許されずだった。

義母に「電報打てるから、家においで」と言われて、義実家に夫と向かった。色々やり方を教えて貰って、無事に電報を打てた。わたしが出来る最後の足掻き。翌々日には香典も送った。

母から葬儀後の話を聞いたのだが、骨を骨壺に入れるとき、人工股関節がきれいに残ってた、と。それを聞いて、悲しくてつらくって、どうしようもなくなった。

何とか年末年始を超えて、三が日が終わった頃だったと思う。夢の中にじいちゃんが出てきた。車いすでなく、杖をついて自分の足で立っていて、認知症も全くないような感じでいた。喋る訳でもなく、ただ、手を振ってきただけの夢。それを今日までにあと2回は見た。

じいちゃんが逢いに来てくれた。優しい笑顔で、ずっとにこにこして。

伝えたいことは色々ある。小5の時に、母と喧嘩して、ばあちゃんに電話したらじいちゃんが家に迎えに来てくれて一緒に祖父母宅に行って1泊したこと。ばあちゃんがお小遣いくれて、じいちゃんにも「ありがとう」って伝えたら、「よかったねぇ」ってにこにこの笑顔で言ってきたこと。お祭りに連れて行って貰ったこと。鼓笛隊の演奏にいつも来てくれたこと。ちゃんと直接伝えたかった。ありがとうって。

いっぱいかわいがってくれてありがとう。じいちゃんの孫でよかった。

大好きだよ、じいちゃん。そして、いつもばあちゃんとラブラブでいたことも絶対忘れないし、じいちゃんとばあちゃんみたいな夫婦になる。絶対に。

 

夢の中で逢いに来てくれてありがとう。