報われない想いに光を

わたしの生きた証

傷つかない為の予防線

今から2年前の話。

就労Bから一般就労して、さあがんばろうって、がんばって働こうって思って、介護界に再び飛び込んだ。

精神科に通院しつつ、安定して働いてゆこうって思っていた。けれど、何かおかしいって思っていたの。

わたしは昔から物事を一気に言われると混乱してしまって、頭の中がパニックになる。そして必ずひとつは忘れてしまう。そして、物事を同時進行していくことが出来なかった。

単なる抜けているだけだって思っていたから、間抜けなんだなって思っていたし、10代の頃から精神薬を飲んでいたから、その所為なんだろうなって思っていた。

当時の精神科主治医に、「昔からこんな調子なんですけど、薬の所為なんですかねぇ」って聞いたところ、疑いたくなる言葉をいただいた。「発達障害かもしれないねぇ」って。

わたしはさ、「発達障害って、自閉症とか、学習障害とか、多動性だよね?」ってそれだけしか頭に浮かんでこなかった。そして、子供の時にわかるものだとばかり思っていたから、「まさかそんなわけない!」って思ってしまった。

けれど、ずっとこころに引っかかってしまって、地元の支援センターの支援員さんに相談しに行ったら、「うーん、違うかもしれないけど、とりあえず大人でも診てもらえるか、発達外来に問い合わせてみるね!」と言われ、その場で問い合わせて貰った。したらば、すんなりと診てもらえるということで、淡々と予約が進んでしまった。

それが、2年前の1月初旬だった。

初診の時、母も付き添ってくれた。アラサーが数十年ぶりに小児科へ行くことがとてもとても恥ずかしくてつらかったのを覚えている。

そして、診察室にはひとりで入って、先生と小さい時の話から、今現在までをずっと振り返りをしていった。自分は結構な問題児だったんだなって改めて思うくらいだった。そして、すごい抜けている奴だなぁって。

一通りの診察を終えて、先生から言われたのが、「ひぃさん、ずっと今、振り返りをしてきたけどね、明らかに発達障害ADHDだね。今、精神科に通われているのなら、発達検査もしようか」とのこと。わたしは、「ADHD???へ???」って頭の中がごちゃごちゃになってしまって、事後のことを覚えていないのだけれど、母にも伝わっていた。おそらく診察室に入ってもらって、話を聞いたのだろう。

わたしは、自分が発達障害だということを受け止められなかった。自分の甘えとか、努力不足なんだって、だからわたしはADHDではないってすごく拒否をした。

そして、辿り着いた答えが、「これ以上、周りに迷惑かけられないから、わたしは消えてしまおう。そうだね、死のう。」だった。

発達外来の翌々日、わたしはたまたま精神科の受診日だった。診察を終えて、自宅に帰る前に薬局に寄り、おくすりを受け取った。確か1か月分だったと思う。当時頓服で貰っていたデパスを本当は56錠ないといけないところが、薬局に在庫が42錠しかなかったらしく、とりあえずその42錠と、定時薬を貰って帰宅後、デパス42錠を数回に分けて全部飲んだ。

当時付き合っていた彼氏がわたしの異変に気付いたらしくって、どういう経緯でうちの両親に伝わったか知らないけれど、わたしは緊急外来に連れて行かれたみたいで、そして、何がどうなったか知らないけれど、次の日かな、閉鎖病棟に入れられていた。しかも、閉鎖に入る書面にちゃんとサインしているの。うろ覚えなんだけれど、ほんと怖いね。

結局、閉鎖に2週間ちょっとと、開放に1週間程入院して、親の申し出があったから、退院させるのにはまだ早いと思っていた主治医と親がバトって退院した。

それからもう2年が経つけれど、派手なODはしていない。というか、出来ない。完全に薬を管理されているから、絶対できない。そして、主治医も再び代わって、今は週1診察になっちゃった訳で。

あの入院と退院からいろんなことがありました。

先ず、折角、一般就労出来たのに、いろんな理不尽なことばかり言われて、メンタルのHPをゴリゴリ削ったあの介護職は入院によりたった1か月で退職をし、発達障害がわかったので、支援会議を急遽開いてもらって、今後どういった方針で治療とか働き方、目標などを決めた。精神科と小児科をきちんと定期的に受診して、働き口はB型作業所の見学に行こうとなり、すぐに支援センターの支援員さんと作業所の見学に行った。それが今の作業所なのだけれど、その時、丁度、印刷のお仕事があるということで、パソコンが得意なら来てもらったらすごく助かるよ、と当時の管理者さんに言われて、即決した。そして、2月最後の日から通所がスタートした。

そして、当時付き合っていた彼氏とはきれいさっぱりと別れました。本当にいろんなことがあって、ずっと泣かされていたのと、身の危険と命の危険があったので、別れられてうれしかったな。

作業所に通って、そして、暫くしてから新しい彼氏ができたけれど、たった1週間と少しで別れた。あれは笑っちゃうよ。ほんと。もうね、身体目当てだったのがよくわかるもの。本当に最低だなって。

暫くは仕事に打ち込もうって思っていたんだ。それが2019年の4月の終わり頃だった。

でも出会いって必然なんだなーって思ったことがあって、その年の6月に初めて年下の彼氏ができた。遠距離恋愛

わたしは、自分の病気や障害を打ち明けるかすごい悩んだ。でも、付き合うなら、やっぱり避けられない道だし、言って無理って言われたらもう一生独りで居ようって決めたんだ。

それで、彼氏に打ち明けた。別れを告げられる覚悟でいた。けど、彼の方は、しっかりと受け止めてくれて、更にはちゃんと理解したいからと言って、本まで買って勉強してくれている。

年下だけど、わたしよりしっかりしているし、わたしがポンコツな分、しゃきっとしているからとても助かるんだ。

でもね、付き合って半年くらい経った時、わたしは、こんなポンコツが彼の彼女で、彼は恥ずかしくないのかな、って。迷惑じゃないのかなって思って、こんなポンコツより、もっとしっかりしていて、ちゃんと働いていて、病気がちじゃなくて、可愛くて、美人な女の子の方が彼にふさわしいんじゃないかってすごく悩んだ。

だってさ。だって、精神疾患っていつ治るかわからないし、発達障害に関しては一生背負っていかなきゃだし、2年前にした発達検査では普通の人なら100~130あるというIQが、わたしはIQ58しかないみたいだし、療育手帳のことも考えていたし、わたしなんか汚点ばかりじゃんって。自分でもめちゃくちゃ面倒だって思うくらいなのに、彼とこれから結婚して、一緒に暮らしたら、きっと彼がつぶれてしまうだろうし、負担かけるし、いつ突き放されてもおかしくないなーって思うくらいだもん。

ADHDで、言ったことは忘れるし、片付けできない女だし、指示待ち人間だし、本当に言われたことしかできないし、こんな欠点の塊でしかないわたしが彼の彼女なんて、彼が余りにも可哀相すぎるって思ったんだ。

彼には迷惑なんてかけたくないし、負担もかけたくないし、しあわせになってほしいって思ったから、わたしは自分から身を引いたほうがいいのかなってすっごく思ったんだ。

わたしはひとりの方が、きっと誰にも害を及ぼさないって。

でも、そんなこと、彼に切り出せなくて、申し訳ないって気持ちでずっといた。今年の3月に彼からプロポーズを受けた。

彼の気持ちにウソ偽りなんてない。純粋な気持ちしかない彼。絶対彼は、裏切らないなって。確信したんだ。そのプロポーズにわたしはYESと。

こんなに理解してくれて、大切にしてくれる彼。絶対、彼なら大丈夫。

いつもありがとうね。

今年の5月下旬くらいから、バタバタ倒れるようになった。倒れる前に、くらくらするなって思っていたら、倒れていたらしい。倒れた時の記憶なんてひとっつもない。気付いたら、横になっていて、周りには心配そうに見ている職員さんが居てさ。

それから、頻繁に倒れるようになっていて、作業所でもデイケアでも意識が飛んでいることが多かったみたいでさ、デイのスタッフさんから、「解離しているかもね」と言われ、後にそれが解離性障害だということが分かって、またひとつ病気が増えたんだってすっごくつらくなった。

そして、何よりもつらかったのが、倒れて周りに迷惑をかけて、がんばれない自分がすごく嫌で死にたくてたまらなかった。

がんばれない自分は何よりも大嫌いだって。本当に消してしまいたいくらい大嫌いなの。

元々自分のことは嫌いだけどさ、こうやって解離起こして、倒れて、記憶も意識もなくして、迷惑かけている自分がすっごくすっごく嫌で嫌で、大嫌い。

今はちょっと落ち着いているっぽいけど、またいつ倒れるかわからない状況で暮らすのは結構負担がでかい。

迷惑かけないで平和に暮らしたいね。

何だかすっごく長くなってしまったけれど、これがわたしの最近。