報われない想いに光を

わたしの生きた証

命のバトン掴んで

魔の4月。

先日、曾祖母の命日が過ぎました。命日の前日、凄い調子悪くて、死にたいが爆発。そして、4年前に亡くなった同級生のことも思い出して、何であの子が亡くなって、私は生きているの?って凄く思ったよ。

もうすぐ誕生日。叔母さんが言うには、生まれてきちゃいけなかった、と。

ああ、そうか。私は生まれてきてはいけない人間だったんだね。

色々考えるだけで胸が苦しくなる。次やるときは、未遂じゃなくて、完遂したい。いや、完遂しなきゃいけない。

ODも辞めてる、リスカもしてない。数年前と比べてみれば優等生にはなったけど、今でもOD欲は湧いてくるし、リスカだってしたくなる。

結局、ずっと色んな人に嫌われてきた身だから、私が死んだところで悲しむのは家族と数人の友人たちだけだろう。

数年前に自殺計画を立ててた時、溺死にしよう、って計画を立ててた。そして、身辺整理も少しずつしていた。何人かと作ってたグループLINEを抜けて、仲が良かった人達とのグループLINEまで抜けた。そして、LINEの友達を整理した。

死ぬ日に、皆にありがとうってメッセージを送ろうって決めてた。

でも、結局それは遂行される日は来なかった。結局死ぬのを後伸ばしにしているのだけれど、毎年春が来ると、やっぱり死にたいが襲ってくる。

希死念慮自体は一年中あるものの、春先は特に強くなる。あとは、12月も、祖父が亡くなってから死にたいが襲ってくる。

自殺しても曾祖母と祖父の所にはきっと行けない。会えない。でも私は死にたい。

死ぬのを決行して、未遂に終わったら確実に閉鎖病棟に入れられるよね…なんて思ったりする。 

なんかもう、本当に綺麗な死に方じゃなくていいから、夫の荷物になる様な嫁は早く死んだ方がいいって考えが、頭の中を過ぎってしまって、凄いしんどい。

"命のバトン掴んで願いを引き継いでゆけ"

中島みゆきさんの、命のリレーの中の歌詞。私は、両親から命のバトンを渡された。願いを引き継いで行ってもいいのですか?

苦しいのは今だけ、なのかもだけど、その"今"が苦しい。