報われない想いに光を

わたしの生きた証

離さないって決めたから

なんだろう、この漠然とした「死にたい」は。よく分からない感情に支配されているみたい。どうしたものだろう、わたしは今、しあわせなはずなのに。

ちょ

ちょっと、遠い田舎の実家のことを思い出した。わたしの家は4人家族。母と妹が身体障害者だ。

母はわたしにはとても厳しくて、妹には劇的に甘かった。父は家庭を顧みる人ではなかった。今思えば、単なる「家族ごっこ」をしていたみたい。

母はわたしに向かって度重なる言葉の暴力を浴びせてきた。大人になって、きっとわたしの両親は、アルコール問題を抱えている親なんだ、ということがわかったけど。

母は飲んで、機嫌がいい時は、お小遣いをくれたり、いつもニコニコしていた。ただ、機嫌が悪くなると、物は投げるし、蹴るし、ひどい言葉をとにかく浴びせてくるような人。

父は、飲んだらねちっこくなる人。勿論、母同様、ひどい言葉も浴びせてくる。そんな人。

わたしは昔は、これが当然の家庭なんだ、みんなの家もきっとこうなんだ、としか思っていなかった。

数年前、両親と大喧嘩をし、あまりにもひどい言葉を浴びせてくるものだから、わたしは家を出る決心をした。けれど、作業所だけのお金じゃ一人暮らしなんて到底無理。ということで、隣の市のグループホームに入ろうと思って、精神科の看護師さんやPSWさんと一緒に、障害年金の請求もしよう、となって、いろいろと動いた。親には内緒で。でも、親にバレて、ふざけるな、と。お前が家を出ても、毎月のお金は入れるんだからね!?との圧力。いやいや、無理に決まっているでしょ。そんな余裕なんてありませんから。

けれど、申請した年金は不支給通知が来て、わたしの自立&毒実家から出よう作戦は失敗。

と、いうことで、わたしは死のうと思って、デパス40錠飲んだけど、死ねなくて、そのまま医療センター送り。そして1泊入院。たった1泊だけど、高額な治療費を請求された。まあ、それは親が払ってはくれたけど、2回目したときは親はカンカンに怒っていた。その時は精神科に1ヶ月近く入院したものだから、それなりにすごい額を請求されて、めちゃくちゃ怒られた。

でも、親がひどい言葉をずっと浴びせてこなかったら、自立していたら、こんなことにはならなかったのにさ。

何もかも、親の支配の下で暮らしていたから、自分と世間が違いすぎて驚くことばかり。

自分は頼れるのが、旦那の実家だけなのか、と思うと何だかものすごく寂しいなって。実の両親は、父も母も、わたしがいなくなったことをいいことに、妹の保険金をグレードアップしなきゃ、とか、もう実家には戻って来ないで、さよなら、と言われたり。それを思うと、なんだか寂しくなってしまった。

それだけが理由なのかな。今こんなに死にたいのは。自分でも分からないや。